2009年12月20日

「海痩せ?」の原因は森林か?

どうも納得のいかないNHKの報道に次のような質問を送ってみた。

香川大学瀬戸内圏研究センター 本城センター長様

突然 メールを差し上げる失礼をお許しください。
先週末にNHK「四国羅針盤」をたまたま見て 先生の瀬戸内海の栄養塩減少の
原因について解説を聞いていて,あれっ?て思っていたました。
今朝,再び再放送で全編視聴して 瀬戸内海の漁業関係生産量に
異変が起きていることはよく分かったのですが,
その原因について 先生の解説の中で1970年以降の「森林伐採」が
あげられ,対策の案として「植林による豊かな森林の造成」が説明
されたことについては,森林・林学関係者としては,どうしても
納得が行かなくてメールを差し上げた次第です。

ここ半世紀で香川の森林は劇的な変化をしてきたことは確かなのですが,
あわせて「植林」の時代は遠く過去に終わってしまっているのも事実です。

1960年代の燃料革命以降,林地から落葉落枝を持ち出すことも薪炭利用する
こともなくなり,それまでの長い課程でいわゆる「植林」「森林造成」なし
には「はげ山」へのプロセスにベクトルが向いていた時代は終焉をむかえ
ました。
香川では,戦後植林したマツ林が松くい虫被害の蔓延によりほぼ全滅したのは
事実ですが,かといって「はげ山」が再現されることはなく,自然更新して
アベマキ・クヌギ・コナラ林やアラカシ・クスノキ林が成立しています。
林地の森林土壌の回復は確実に進行していますので,森林そのものの
栄養塩の供給ストックは絶対的に増加していると思います。
(高知県のようにスギ・ヒノキの人工林率が90%以上になり,かつ林業不況で
間伐ができず管理放棄されている森林地帯はまた別の問題があるにしても・・)

何れにせよ 社会背景が変わり,伐採跡地でもシカなどの動物摂食害を受けなければ
自然更新により数年で植被が回復する時代になりました。
参考
http://quercus.ashita-sanuki.jp/d2008-02.html

そうしたことを考え合わせると,森林からの栄養塩が海まで届かなくなった原因は
他にあるのではないでしょうか?
・森林からの表土流出も含めて森林化の進行によって森林自体が吸収・消費している?
・治山治水施策の充実により洪水・流出現象が緩和された?
・必要な流出水が水源ダムにストックされて下流に供給されていない?
・降水の季節的配分や量に変化が生じ,生物的に必要な時期に流入がない?

以上 私は小椋先生が主張する通り 近世で少なくとも量的には最も森林が豊かに
なっていると考えていますから,海のために「植林」はあり得ないと思います。  
続きを読む

Posted by quercus at 13:39Comments(0)TrackBack(0)おかしなはなし

2009年01月26日

讃岐のヒノキ













今月から奈良から飛んできたというA社のK-Maxという輸送専用ヘリが塩江の大滝山国有林から100年生を超えるという四国管内でも珍しい高齢級のヒノキ・スギ材の抜き伐りが行われている。

こんなヒノキ材は滅多にみれないから,是非一度みておきたい。

しかし,世界同時不況の発端がアメリカのサブプライムローンで住宅不況といわれている現在,木材価格は,更に弱含み傾向にある。今の時期に販売するのが得策なのかどうか大いに疑問がないわけではないが,100年以上前の明治の中期に,この山奥に苗木を運んで急傾斜の山で育林作業を続けてきた先人達の苦労の結晶であるこの木材が有益に使われることを祈るのみである。

しかし,本当にほれぼれとする材だった。  

Posted by quercus at 01:11Comments(1)TrackBack(0)国産材ビジネス

2009年01月26日

福西さんの干支牛





どんぐりネットワークの福西さんが「これあげるわ」といって
「牛乳箱」に入ったプレゼントをくれました。
家に帰って開けてみると,すごぉぉーい。こんな竹でできた牛が入っていました。

ドングリクラフトから雑木鉛筆,そして 竹のクラフト・・・
まいりました。 深謝。  

Posted by quercus at 01:00Comments(0)TrackBack(0)人と森の絆

2008年10月26日

今日森の文化祭がひらかれます。





雨が降っていますが
昼前にはあがるみこみ。
http://www.pref.kagawa.jp/kankyo/data/0810/081022.htm
松ぼっくりととろデビューの日です。

雨に濡れると ・・・・





誰か大きな傘を貸してください。  

Posted by quercus at 06:27Comments(0)TrackBack(0)人と森の絆

2008年10月25日

明日は 森の文化祭



明日 公渕森林公園芝生広場で 第14回森の文化祭が開催されます。

きゃっ!
まつぼっくりトトロが デビューします。

ギネスものの 松ぼっくりでできたトトロです。

ドングリを持って 見に来てください。


  

Posted by quercus at 23:24Comments(2)TrackBack(0)人と森の絆

2008年08月04日

現代森林政策迷走の原因

日本の森林管理の問題は,自由貿易体制下の戦後造成人工林資源管理の適正化である。
言い換えれば,1960年代を境とする石油文明の普及と引き替えに,日本の森林荒廃の歴史は一つの終焉を迎えたのであり,植え過ぎてしまった人工林を適正規模に戻す手法を模索している時代といえる。
すなわち,明治以降,
①急増する人口増加が過剰利用を招き,はげ山が拡大し治山事業が緑を復元した時期,



岡山県:岡山県治山事業のあゆみ-保安林制度100周年記念--(1997)

②農地の拡大で森林が侵食され,かつ貧困な森林資源を国土緑化運動で改善した時期,

高松市郊外の疎林の様子(1956)

③高度経済成長下に拡大造林により自然林を破壊した時期,



福島県白川営林署ブナ・アスナロ原生林伐採(1972)Nacs-J自然保護

④木材価格の低迷で人工林の管理放棄が進んだ時期,



管理放棄されたヒノキ人工林(2007)香川県

という4つの大きな転換点を経過してきており,1960年代のエネルギー革命以前の問題①②と,拡大造林政策以降の問題③④とは,質・量共に全く次元の異なる問題である。

今,「森林管理放棄にまつわる諸問題」が「森林荒廃」をキーワードとして語られることが一般化しているが,先ず,背景整理をしておこう。
近年,高度経済成長時代に都市・住宅開発やゴルフ場造成のために大規模な林地開発が行われたために,日本の森林は大幅に面積減少したと思いこまれているが,昭和以降の日本の森林面積は減少ではなく増加・回復であったことは歴史的事実である。また,森林蓄積は,戦後は一貫して増加しており,ここ50年間で全体で約200%,人工林資源は約400パーセントに増加している。

「林野面積累積統計」(林野庁経済課1971)などより作成
小椋純一:日本の草地面積の変遷(2006) より引用








林野庁:森林資源現況調査

 日本の森林が本当に荒廃していたのは,上記①②の時代であり,先人達の努力で治山事業・国土緑化事業により驚異的な森林回復を成し遂げたのは世界的偉業といっても過言ではないが,石油文明の砂上の楼閣のような③④の問題は,「森林荒廃」ではなく「森林文化の衰退」の歴史である。
 ここ100年間を振り返ると確実に我が国の森林は回復し,充実しているのにもかかわらず,「森林荒廃」を主張せざるを得ないのは,拡大造林政策の失敗を覆い隠さざるを得ない国策の瑕疵である。
 木材価格の低迷と国産材林業の衰退は,木材輸入の自由化,工業化立国成功による円為替レートの変動相場制への移行,人件費の高騰,中山間地の過疎化・高齢化問題など多くの社会的・経済的要因が関与して形成されてきたものであり,結果として,森林・林業の予定調和論(林業振興による林業生産が増大すれば,同時に森林の公益的機能が確保され森林の保全が図られる)は破綻を認めざるを得なくなり,国は平成13年に森林・林業基本法を全面的に改正し,それまで木材生産を主体とした政策から森林の多面的機能を持続的に発揮するための政策に大転換した。

 その結果,国有林施策は法に従って国有林野事業特別会計の縮小や生物多様性保全施策の推進など改革が進んでいる一方,民有林施策については,基本スキームに変更がないため,かけ声倒れに終わっているのが現状である。
 要は,先に述べた予定調和論の破綻が如く,「公共」が求めている森林・林業への期待は,その公益的機能の発揮であるが,民有林経済・森林所有者の行動規範は,林業の収益性以外の何ものでもなく,将来的収益が見込めない更なる林業投資には回帰せず「人工林管理放棄」の解を返すばかりの機能不全に陥っている。

 我が国の民有林では,所有権という財産権の存在が社会性を超える存在ではなく,結局,旧来のスキームで,森林所有者に「営林」を働きかける一方,事業継続のために,まさに「木を見て,森を見ず」の非科学的な論拠に依拠せざるを得ない状況にある。  

2008年04月26日

クリーンラーチって?

今日のNHK全国ニュースによると,





「二酸化炭素の吸収量がこれまでより20%多く、環境に優しい新しい品種の松を北海道の林業試験場が開発し、26日、記念の植樹が行われました。
新しい品種の松は、北海道立林業試験場がカラマツとグイマツの2品種の松を交配させて3年前に開発したもので、「クリーンラーチ」と名付けられました。26日は北海道庁の前庭で記念の植樹が行われ、山本副知事らが苗木を植えました。この松は、二酸化炭素をこれまでの松よりも20%多く吸収し、地球温暖化の防止に役立つことが期待されるほか、成長が早く、ねずみによる食害や風や雪などの自然災害にも強いということです。北海道では今後、2〜3年かけてこの松の苗木を増やし、北海道の各地に5万本を植えて普及を図ることにしています。北海道水産林務部の小野寺英美・主任普及指導員は「成長が早いので生産コストを抑えられるうえ、地球環境にも優しいので、この松を多くの木材加工業者に利用してもらいたい」と話しています。」

また,北海道庁のホームページでも








 懲りない人たちだと思います。
 NHKも報道内容をチェックするシステムの中に,生物学をマスターした人物がいないのだろう・・・・か。マスコミの報道姿勢には,つくづく閉口してしまいますが,こういうことなのでしょう。
 「新しい品種の松」を開発したと書いてあるので,びっくりしましたが,なんとカラマツではないですか?
 昔,赤塚不二夫のマンガに「おそ松くん」というのがあって,その6人兄弟の中にも「カラマツ」「トドマツ」君などがいて,まあ「ジュウシマツ」はあのころ流行った小鳥の名前であることは,みんな知っていましたが,カラマツ・トドマツは松の種類だとみんな思っていました。
 カラマツもトドマツも確かに「マツ科」の樹木ということではマツには違いないのですが,いわゆる「松」とは全く異なる種です。
 カラマツは,Larix属という針葉樹でも落葉するタイプの樹木。
 トドマツは,Abies属で,モミの仲間。
 だから,私たちがマツといえば普通思い浮かべるあのアカマツやクロマツとは全然異なる樹木です。ここに出てくるグイマツというのはダフリアカラマツのことで満州以北の大陸に自生するカラマツです。
 要するに,マツではなくカラマツの近縁同士で掛け合わせた結果出来る雑種強勢F1雑種のことなのです。このF1雑種は,掛け合わせた両親の種の優勢な特徴を受け継ぐことから,成長量が早い=二酸化炭素の吸収量が多いという図式で考えられているのでしょうけど,「怪しい」話です。林野庁が帯広に作ったパイロットフォレストの主役は,カラマツでした。カラマツ造林の失敗は,あまりにも有名な話
 ・・・なのに,まだ,また?やるのですか?F1雑種まで引っ張り出して・・・と,閉口してしまいます。しかも,林業技術者たる主任普及指導員が登場しての話ですから,暗澹たる気持ちになってしまいます。
 これも洞爺湖サミットのための「話題づくり」なのでしょうか? 「地球温暖化防止」という錦の御旗の下なら何をしてもいいのでしょうか?

 このことと同じレベルの林野庁のあやまちが,「抵抗性マツ」の開発です。マサノザイセンチュウ病でことごとく枯れたマツ林の復活を目指して? 大々的に国の林木育種場が全国の都道府県林業試験場と共同で開発されたマツクイムシに対する「抵抗性マツ」・・・・私も含めて,その事実を知るまで,松枯れしないマツを選抜されたものと信じていましたが,実際は,そういう期待とは全く異なる代物であったことがはっきりしてきました。黒田慶子博士は,マツノザイセンチュウがどうしてマツを枯らすのかという機作を解明したことで有名な新進気鋭の樹木生理学者ですけど,彼女がこのことの問題に着手しなかったとしたら,数年後には「詐欺事件」にまで発展していたかも知れないくらいおかしな話です。

 木は自然界の中で生きている生き物です。森林は単に木が植わっている場所ではありません。多くの生物の集合体が相互関係を持ちながら生きている生態系なのです。そのことを一番知っていなければならない森林技術者であれば「これまでの松より20%CO2を多く吸収」するなんてことは,言わないで欲しいなぁ。机上ではそういう計算が出来ても,実際のフィールドでそういうことが本当に言えるのですかね??

 もっとさかのぼれば,戦後,木材需要が逼迫して,とにかく早く成長する木を求めて,林野庁が「早生樹育成事業」を全国で展開して,全て失敗に終わったことが思い出されます。スラッシュ松,テーダ松,フランス海岸松のよう外国松,キリ・アブラギリ,ポプラ,アカシア,ユーカリなど,どれも日本の気候風土になじまなかったり,人工林化技術が未熟で病虫害で枯れたりと・・散々でした。うまい話には,気をつけましょう。  

Posted by quercus at 23:47Comments(1)TrackBack(0)おかしなはなし

2008年04月07日

マツ・スギ・ヒノキ・ザツの不幸 その2




これは大阪書籍の小学校5年生用の社会科の教科書の「国土の環境を守る」という章の「森林を守る」という節の森林の働きを説明しているページです。木材をつくりだす,動物をやしなう,水をたくわえる,空気をきれいにする,山崩れをふせぐ,人々にやすらぎを与える・・・という いわゆる森林の公益的機能について解説しています。(木材生産機能は公益的機能ではないという分類もあるが・・・・)
しかし,教科書では,続いて「森林の多い日本」を説明したあと,「森林を育てる」という項目が続くのですが,



ここまできて,森林の「緑のダム」の働きが弱くなった原因について,森林の手入れが十分でないからという説明になります。それまで「森林一般」の働きや森林面積や量について説明していたのですが,ここへ来たときに,突然「森林」ではなく森林の一部である「人工林」の話にすり替わります。

「森林をきちんと守り育てるには,たいへんな手間と時間がかかります。」
「しかし,わかい人を中心に,林業で働くヒトが年々減ってきているので,森林の手入れや植林がされていない山が増えてきています。」

こうして教えられるから,人工林の手入れ不足の問題と森林全体の荒廃の問題・・・熱帯雨林の破壊,農地化の問題などが混同してしまうのでしょうね。
先日,ことなみで開かれたフォレスターズかがわの森林イベントで,世界の森林問題と日本の森林問題は全く異なる局面での問題であり,日本の森林は荒廃しているどころか,有史以来,おそらく量的にも質的にも最も豊かな時代にあるという説明をしたところ,ある小学校の先生がいたく感動してくれて,こんな逸話を語ってくれました。
先生は,教科書に従って日本でも開発や安い外材のせいで森林の荒廃や破壊が進んでいると説明したところ,生徒は一様に「先生!私たちの学校の周りの森林は緑が一杯なのにどうしてですか? おかしい! 変だ!」という質問を先生に投げ返して,先生は回答に窮したとのことでした。・・・「私もおかしいと思っていた。生徒の意見が正しいということが今日の話でよく分かった。」ということで,当日使った図表や写真を一式差し上げました。
 人工林も「森林」には違いありませんが,森林を構成する多くの樹木を「人間に役にたつ木=有用樹」と「そうでない木=ザツ」に分け,有用樹だけを植えて育てて換金するシステムがいわゆる林業なのです。

ここで,本当の山棲みの万作おじさんこと 高知県本川の林さんのエッセーをまず引用します。

「間伐をして数年を経過しているであろうヒノキ林の中を、せっせと下刈り
 している村人がいました。シロモジやクロモジなどの下層植物がせっかく
 成長しているのに、もったいないと思いながら、内気な僕のこと?そのこ
 とを言えず、「綺麗にしてますね」と、心にもないことを言ってその場を
 あとにしました。

 そもそも、下層植物を生やして土砂の流失を防ぐことが間伐の目的の一つ
 なのに、きっと下層植物に養分を奪われると思っての作業なのでしょう。
 農法を林業に持ち込む気持ちも分からないではありませんが、無益な労働
 のように僕は思えます。
 下層植物を豊かにすれば、草花を愛でることも出来るし、美しい蝶や小鳥
 もたくさん集まってきます。森に生きるもの皆んなが楽しくなるよう、大
 らかな気持ちで森造りをしたいものです。

 今の時期、僕が手入れをした植林の中にはそのお返しに、アブラチャンや
 フサザクラ、クロモジ、ツツジ・アセビなどの花がいっぱい咲いています。
 5月になれば、コシアブラやタラの芽などがお腹を満たしてくれることで
 しょう。

    
 あとがき
  下層植物のシロモジ・クロモジ・ツツジ類・笹などは生長してもせいぜい
  2メートル程度なので、杉やヒノキの成長に悪影響を与えません。
  スギ・ヒノキと下層植物との栄養の奪い合いですが、下層植物は基本的に
  自給自足です。つまり自分の落とした葉の養分で賄っています。
  むしろ残して置いたほうが、秋には葉を落とし腐葉土になり保水力が高ま
  りいい結果につながります。」

このエッセーを読んで,ホンモノの意見は真髄をついていると思ったのです。そして,どんぐり銀行を始めた頃,彼が高知から四国新聞に投書した意見を読み返してみると,あのときもほぼ同じことを彼は私たちに忠告していたのに気づきました。

保水のための植林に一考を

今年の異常渇水で、源流地域の山のありようが意外な所で大きな関心を呼ぴました。それに関連して、最近あちこちの地域でプナやナラ、クヌギといったブナ科の幼木を山に植え付ける運動が、市民団体レベルで展開しているようです。山を守っていく者として、大勢の人たちが山に目を向けてくれるのは大変喜ばしく、また心強く思います。先日も高知県本川村の「名の谷山」で、盛大に恵みの森作りキャンペーンが催されました。私も本川村の子供たちと一緒に参加せていただきました。大勢の子供たちにとって、くわを振るい木を植えたということはこれから自然界に興味を持つ上でかけがえのない体験になったと思います。ありがとうございました。その盛り上がった機運に水を差すようで申し訳ないのですが、林業に従事している者の立場から少し気になったことを述べさせていただきます。
植えつけたブナなどの苗を育てるためには、年に一〜二回ほど下草刈りをしなけれぱなりません。一年目はまだ、ヒノキやスギを切ったばかりですので草木は少ないのですが、自然の復原力はたくましく、二、三年もすればおびただしい草や木が生い茂ります。これらは木を切ることによって、太陽光線を受けた草の種や木の実などが発芽したものです。また、植林の中といっても雑木は生えていますので、切り株から芽を吹いたものもあります。この中にはブナ科でもあるコナラやクリ、カシなど、他にはシデ、カエデ、リョウブ、ヤマザクラ、トガ、モミ、ヌルデ、ヤマウルシ、また、かん木類では、タラ、クロモジ、シロモジ、アセビ、ツツジ、サンショウといったたくさんの種類の木が合まれています。しかしながら、植え付けたプナなどの苗木を育てるためには、これらの木々を草と一緒に刈らなければならないのです。保水のみを目的とした一定の木の種類だけを育てて行くのなら、これでいいかもしれませんが、やはりその土地の環境に適した、いろいろな実のなる自生の木々が、烏や小動物たちの生態系にも一番良いのではないのでしょうか?
それに、条件の良い暖かい肥沃(ひよく)な土地で育成されたブナやクヌギ、カエデの苗は山の厳しい環境の中では大半が枯死したり、新しい根が張るまでにその土地に適した他の木々との生存競争に負けて、枯れていく場合が多いのです(クヌギは直根性ですので土の浅い場所は不適)。
では、どのような方法が良いのかというと、土地の条件などによって一概に言えませんが、針葉樹やパルプ材を切った跡地はそのままにして置くのが、自然発生への一番の早道ではないかと思われます。
先日、名の谷山の植栽現場を見て一層その感を強めたことでした。
もちろん、削り取られた道路などの土手には、木の種も雑草の種も無く、どこからか飛んで来るまではしばらく生えて来ませんから、こういった所は苗を植えたり種を蒔くのが一番良い方法です。
今の盛り上がった機運を、さらに有効的な方法で活用されることを願います。
いずれにしても、人間の都合に合わせて木を育てていくのではなく鳥にも動物にも喜ばれるような本来の森が持っている働きを取り戻していきたいものです。(高知県本川村・農林業・39歳)

「森林整備」・・「森林を整備する」という言葉が語られるときに注意しなければならないのは,これは「いい森をつくる」という意味で使われているのではないかも知れないということです。マツ・スギ・ヒノキ・ザツの不幸は ここにあるのです。「森林」がいつの間にか「人間に役にたつ木の森」にすり替わっているかも知れないからです。日本の人工林政策が行き詰まっている現状打開の方策としての「森林整備」を論ずるのであれば,何故人工林政策が行き詰まったのかという問題整理を先ずするべきでしょう。その本質を放置したまま,これまでと同じ手法で解決できるわけがありません。
 今私たちが本当に求めている森林の整備とはどんな森をつくることなのでしょうか。それは,人間の力が及ぶ範囲なのでしょうか?これまで見てきた不成績造林地や松枯れ問題,はたまた無花粉スギなど人間の「愚かさ」以外の何ものでもない失敗をもう見たくありません。・・し,自らそんなあやまちの繰り返しを看過するわけにはいかないではないですか?

 私は,別にスギやヒノキの人工林そのものを批判したり嫌悪しているのでは,絶対ありません。針葉樹人工林も適正に管理されれば素晴らしい「森林」になりますし,私はスギの大木からなる人工林は大好きです。 先日も,別子の住友林業の保護林に見学に行ってきました。

有用樹という考え方は,あまりにも人間中心の森の見方だと思いませんか? 万作おじさんもいっているように森の気持ちになって森のことを考えると,全く違う森づくりが見えてきます。

「自然のあとに ヒトが行く。」
謙虚でありたいものです。森づくりに野心は不要です。  

2008年03月09日

森林資源を大切にする究極のひと





今日 ドングリランドで「おくどさん」を作りました。
その製作指導に現れたのが この人秋山陣さん





この二つの写真は,彼が最近,多度津に建てているという「廃材ハウス」。
彼は陶芸家で,もともとはその陶芸窯の燃料として廃材を集めていたものが,いつの間にか使えるものまで廃材になっている日本の「異常さ」に気付き,こうなったら「使えるもの」を燃やしてしまわず,いっそのことその廃材で家を 建ててしまえば「住宅費」0で家計が助かるという・・・・。
なんとこれは木材資源のいわゆるカスケード利用の究極ではないか?

サントリーの樽物語と同じ思想・・・。感激した。  

Posted by quercus at 22:55Comments(3)TrackBack(0)人と森の絆

2008年02月20日

スギ花粉の季節

スギ花粉の季節が始まった。
天気予報のたびに明日の花粉飛散量が報告される。
東京都の石原知事のようにスギを全部伐採している無茶苦茶もあれば,林野庁のように無花粉スギのクローン苗の生産に多くの予算を投じている無茶苦茶もある。
スギが悪者にされるのだけは,許せない。
花粉症を発症する人間の方にこそ問題があるのであり,無花粉スギなんて自然の冒涜以外の何ものでもない。

花粉症の原因は人間側にあるという科学的知見が掲載された。
ぜひ 一読して欲しいなぁ。
藤田 紘一郎
「寄生虫,菌との適度な共生社会が人体と地球環境の健康を促進する」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/interview/080208_fujita01/  

Posted by quercus at 23:30Comments(1)TrackBack(0)おかしなはなし

2008年02月17日

森の恵み








これは何だか分かりますか?
ナイショ
そうです。えんぴつ・・鉛筆です。しかも,世界に一本しかない手作り鉛筆。昨日,ドングリランドに“えんぴつおじさん”ことF西さんがお出ましになり,器用に,しかも愛情込めて作った一本をいただきました。
この日,F西さんは,朝,こにふぁの間伐作業に出かけようとガソリンスタンドで給油中,セルフ給油機のトラブルで思わぬ時間をとられ,集合時間に間に合わなくなってしまい,思案の結果,ドングリランドで鉛筆づくりをして一日を過ごすことにしたのだとか。。。ラッキーメロメロ





材料は,クスノキ・ナナミノキ・アラカシなど里山にふつうに生えている広葉樹の萌芽枝です。昔は,こういう柴を刈って燃料に重宝していたのですが,電気やガスが普及して50年,「柴刈り」ははるか彼方の世界,・・・・おじいさんが柴刈りになんてのはおとぎ話の中のことで現実にそうだったことを知っている世代がどんどん少なくなって・・・やがて,本当に知らない人ばかりの社会に移り変わろうとしています。




↑ これは昭和初期の満濃町炭所西での炭焼き小屋あたりの光景

今は,誰も柴を刈りに来なくなった森。森は,人が来なくなって寂しい思いをしているのでしょうか?それとも,やっと静かな森に戻れてほっとしているのでしょうか?
しかし,人間社会の方は,地球温暖化などの深刻な環境問題を抱え,将来にわたって持続可能な社会システムについて真剣に考えなければならないときが来ているのではないでしょうか?
日本の林業は,“安い外材に圧されて木材価格が低迷するとともに”過疎化・高齢化など生産地の社会環境の脆弱化で瀕死の状態にあるといわれています。ある一面では,確かにそうなのですが,またある面では,林業という長期性を無視してきた国(官僚政治)の失政に翻弄されているだけともいえるのでは無いでしょうか?
戦後の旺盛な木材需要を背景に薪炭林業の世界から一気に全国の山村に吉野林業の施業体系を基本にした用材林業を拡大した国の政策は,土地改良事業を優先し八郎潟を干拓するなど大規模化を推進し続けてきた水田農業が,結果として,米需給が軟化し米価が生産費を下回る負の生産システムになってしまったことと似ていると思いませんか?50年前に絶対的に木材不足だったのに,どうして今「国産材の需要拡大」にまた税金を投入しなければならなくなったのか,その歴史を,ここで振り返ってみる必要が多いにあると思うのです。
森は,用材を生産し,山の人の暮らしを豊かにしてきたでしょう。しかし,一方で都市の豊かさとは格差が広がるばかりで,今は過疎という言葉を超えて「限界集落」という言葉で語られる時代になってしまいました。



この小さな森の恵み。F西さんの一日を支えた小枝たち。



シャープペンで育った世代の大学生が手作り鉛筆に嬉々として挑戦しました。

小さな小枝がくれた至福の時間と絆。・・・こんな森の恵みも大切にしたいものです。
  

Posted by quercus at 13:24Comments(1)TrackBack(0)国産材ビジネス

2008年02月16日

仲南森づくり協議会




阿讃山脈は久しぶりに白い雪に覆われたままだ。
2月 立春を過ぎたといえ 本来 冬であることを考えると 当たり前といえば当たり前の話。昨秋から雨が少なく,香川の人たちは,早明浦のダムの貯水率に一喜一憂する日々が続いていたが,ここに来て降水と降雪で春の田の準備も心置きなくできる安心感が広がっている。

テレビで4県知事会議が放送されていた。
あらためて四国は林業地帯なんだと思った。知事会議で温暖化対策というタイトルになっているとはいえ,林業の話が項目立てられているのだから。しかし,ここでも 語られるときの口調は「森林」を救うという話しぶりだった。香川以外は林業地帯なので森林ビジネスが県民経済に大きなウェイトを持っているから,そういうことなんだろう。
香川の知事も「引き続き森林の整備を続けます。」といったが,どういう意味だったのだろうか?
ウサギやイノシシしか通らないのに林道なんかつくらなくていいではないか?といった彼のイメージしている「森林の整備」とは何なのだろうか?同じ彼が「県産材を使うことで温暖化防止のために貢献した二酸化炭素固定量」を認証するらしいが,僕には,彼が「現場」を見ているような気がしない。

戦後木材資源が枯渇し,木材需要の急増と供給に大きなギャップが生じ,いわば国策として木材資源(そうなんだなぁ 森林資源というとき森林生態系資源とか生物資源というイメージではなく,マテリアルとしての「木材」資源のことをいうんだなぁ・・・だから森林資源というのは木材として人間に役に立つ森林ののことだけになってしまうんだなぁ・・・・まぁいいか)を造成してきた。

まんのう町の旧仲南町には,かつての野山,共有林,入り会い林野がある。十郷(そごう),七箇(しちか),そして仲南町有林を合わせると約1,500haの広大な公有林である。前2者の権利関係者には,丸亀市,善通寺市,琴平町といつた下流の自治体も含まれている。なぜ,相当距離の離れた自治体が山林の所有権の一部を有しているのかよく分からない。不幸なことに,その歴史をつづったものが見つからないままでいる。

しかし,1,500haの山林の管理をするとなると大変なことだ。その森林管理は,ほぼすべて仲南町森林組合のKさんの肩にかかっている。
成熟したヒノキ人工林資源もある程度もっており,昨年から間伐と称して択伐して販売の実践を重ねている。材は,尾鷲ヒノキにも負けないような年輪のしまったサーモンピンク色のいい材だ。ただ,香川の山には林道が十分整備されていないことと資源ロットがそう大きいわけではないから,出材コストがどうしても割高になる。

そこに強力な助っ人木庸社が一枚噛んでくれることになった。
林業地帯でない香川で生産基盤の脆弱さを克服して林業再生の応援を買って出てくれた二人の騎士。

現場の伐採と搬出は,雪で足止めを喰らっているが,雪解けとともに再開することとなっている。
現場直販で製材業者さんに引き取ってもらって市場経費をカットしてみることにしよう。森林組合作業班の腕が試されるときがきた。

香川のヒノキで家を建てたい方,ご一方を。雪  

Posted by quercus at 23:42Comments(0)TrackBack(0)国産材ビジネス

2008年02月13日

国産材ビジネスの厳しさ

パンダ

携帯が鳴った。K3からだった。
去年も今ごろ,椎茸の駒菌の注文を森林組合に頼んで欲しいという電話があったので,「椎茸ですね。」と聞くと,なんと今年は「杭」だという。高瀬の実家の田んぼにイノシシが走り回るので,田んぼの周りにネットを張るとのことで,そのための間伐材の杭が安く手に入らないかどうかという問い合わせだった。

早速,S森林組合に見積もりを依頼した。程なく回答。
長さ1.8m 皮付き 先尖らし加工 400円/本 × 100本 運賃10,000円 プラス消費税

うーむ ちょっと高い感じ・・・
次に T森林組合に合見積もり。 まあ ちょっとは安かったが いくらでもは安くならないと・・・。

うーむ 西村Jにマーケット調査。
げっ! なんと! ガーン

長さ1.5m 直径5センチ 丸棒加工 先尖らし シラキ ヒノキ 220円/本
長さ1.8m 直径6センチ 丸棒加工 先尖らし シラキ ヒノキ 320円/本
長さ1.8m 直径6センチ 丸棒加工 先尖らし 防 腐 ヒノキ 410円/本

結局 商談は破談に。
K3は,きっとJの価格は知っていて 森林組合に頼めば Jへの卸値・・・・だから
価格の7掛けくらいで買えると期待していたんだろうなぁ。

しかし,一日に山で間伐された木から 梢端部から杭を切り出し 枝払いして
先尖らして 道まで運び出して 土場まで運んで車積み代えて ・・・・・
220円の7掛けは150円/本ということは,一日に一人で100本はつくらないと
こんな価格では売れないということなのだが・・・・

どうして こんな値段で生産できるのだろうか?
道は険しい。  

Posted by quercus at 22:26Comments(0)TrackBack(0)国産材ビジネス

2008年02月11日

新たな税負担76%容認?? ことの本質と真相を!





四国新聞の報道によると
1. 森林整備の財源として新税など県民に新たな負担を求めることについて,「負担の程度によって」といった条件付きを含めると,「求めてもよい」とする県民が76%に上ることが,県政モニターアンケートで明らかになった。

2. 理解を 示した人に許容できる負担額を聞いたところ,「500円」が最も多く32%。次いで「1000円」(29%)「1〜499円」(16%)などで,500円以下でほぼ半数。「2000円」以上も11%あった。

3. 森林整備の進め方は,「これまで以上に力を入れるべき」が65%で,「必要ない」はわずか1%。

4. 森林に期待する働き(複数回答)では「山崩れや洪水などの災害防止」「地球温暖化の防止」がともに60%で最多となった。

5. みどり整備課は,結果について「地球温暖化など,環境問題への意識の高まりが数字に表れた」と分析。


 この記事の内容を要約すると,こんなことになるのでしょうか? つまり,

『県民は,最近多発する山崩れや洪水などの自然災害は,自分の暮らしを直撃する一大事として大いに関心を持っているし,地球規模での気候変動がそれらの原因の一端を担っているとしたら「温暖化対策」の一つとしての森林整備に対して,ワンコイン「500円」程度でよいのなら,大いに賛成,どんどん森林整備を進めて欲しい。』

 と考えているということでしょう。
 これは,県政に関心の高い「県政モニター」という母集団に対する結果なので,県民全体がどう考えるかについては,「さらに広く意見を求めた上で慎重に議論する必要がある。」とみどり整備課は答えたようです。
 いや,県民みんなそう思っているのではないですか? ワンコインで「山崩れや洪水を防ぐ森林整備」や「地球温暖化が防げる森林整備」が進むなら,私だって大賛成ですし,「50000円」でも負担します。

 こんな報道が,本当に「県民の幸せ」に繋がるのだろうか? 四国新聞は,アンケート結果という「事実を報道」しただけというかも知れない。しかし,中身を検証する責任を怠っているのではないかという疑問が大いにある。豊島事件の教訓は,まだ生かされていないのではないかという危惧も再び頭をもたげてくる。

 私たち森林技術者としては,「災害や渇水に強い森林づくり」という県民の期待に応えられるような技術は今のところ無い(次に示すような治山技術・はげ山緑化技術は別として・・・)というのが,正直な回答である。

 私たちの郷土 香川でも,おおよそ50年くらい前までは,日々の生活資源(燃料・肥料・飼料)の大半を山から薪・炭・柴・茅などに頼っていましたから,山は人間による過剰利用(自然の略奪)によって,疲弊・荒廃していました。



 これは,丸亀市本島町の1950年代の写真ですが,こうした荒廃状況に更に亜硫酸ガスの雨(今でいう“酸性雨”のきつい雨)によって一木一草生えない状態にまで荒廃した直島の緑化の写真があります。



 おそらく当時,精錬所の銅の精錬は順調だったのでしょうが,工場がある島の北部はこうした荒廃地になり住民の周辺環境や漁獲高の減少など,森林荒廃の影響が大きかったのだと思われます。



上の写真は,降雨の度に雨裂浸食が進んで土砂止めのダムに土砂が流れ込んでいる様子です。






 こうした荒廃地復旧のために,当時,治山事業で多大な労力と費用が投入され,水平の階段を人力で切りつけ,失われた土壌環境を復元するために有機物・堆肥をすきこみ,縦浸食防止工が施されました。そして,階段上には,肥料木(根っこに根瘤菌という空中の窒素を固定する機能を持っている)としてヤシャブシと乾燥・痩せ地でも育つことが出来るクロマツの苗木が植えられました。



 昭和25年に完成した復旧工事は,その8年後の昭和33年には,緑で覆われ,緑化工事の第一期が完成しました。(しかし,直島は,その後,肥料木の衰退や松枯れの進行,はたまた山火事による森林喪失などいまだに緑化が必要な最も重要な場所であることに間違いない)



 こうした「森林荒廃」に対する治山技術は,先人達のかけがえのない苦労の上に,工法的には一定の集積がありますし,必要とあれば再現・復元も可能でしょう。また,最近は,緑化産業(例えば日本植生株式会社のような緑化工法専門会社)が発達してきていますから,費用さえ惜しまなければどんな場所でも植生復元が可能な時代になっています。(ただし植生の基礎の復元までで,失われた自然環境が戻るには長い年月が必要であることはいうまでもありません。)
 しかし,石油文明に支えられて,また,ある面では木材輸入と集成材技術の発展によって「森林荒廃の時代」が終わった今,私たちは,香川の森林に何を求めているのでしょうか?
 「森林整備」すれば,渇水から救われると思っているのかも知れません。また,「森林整備」すれば土砂災害が防げると思っているのかも知れません。確かに,上で説明したように「1960年」以前の森林荒廃の時代には,「森林整備」=「荒廃森林整備」=「植林」「造林」=「水源涵養」「土砂流出防止」機能の増進=県民の安心・安全の確保という図式が成り立っていたでしょう。
 でも,今は違います。
 今,香川では,こうした荒廃地が広がっているわけでもないし,松枯れが深刻だった頃,森林消失の危機感があったにしろ,その後,アベマキ・クヌギ・コナラ林やクスノキ・カシ林などが自然更新し,香川の山は穏やかな状況にあります。



松枯れの跡,自然更新したアベマキ・クヌギ・コナラ林(まんのう町 2007秋)

 最近頻発する異常渇水は,おそらく地球規模での気候変動と関連して発生しているのでしょう。90日も無降雨期間が続けば,あの巨大な早明浦ダムでも空っぽになってしまいます。それは,雨が降らないからです。森林が荒廃しているからではありません。確かに,早明浦ダム上流域は行きすぎた人工林政策の結果,間伐など手入れが充分に行き届いてない人工林が広がっています。その人工林をいくら手入れして,全ての人工林が理想的な管理の下に置かれていたとしても,90日も無降雨期間が続けば,ダムは空っぽになります。人工林であれ,自然林であれ,森林は生き物ですから,人間が喉が渇くように,渇水状態になればなるほど,最低限自分の命の維持に必要な地中の水分を吸い上げます。そうしないと自分が枯れてしまうからです。鉢植えの植物を想像してください。水やりを怠ると夏場,高温時には一日で植物はしおれてしまうでしょ。はげ山時代でない今,いくら「森林整備」を進めても「渇水」対策にはなりません。森林には,降雨以上に水を増やす機能はなく,逆に,一定規模以上の渇水時には,川への流量を減らしますから,人間の渇水よりも自分の命に水を消費してしまいます。
 「渇水に強い森林づくり」という言葉は,現代においては詭弁です。



 蔵治光一郎+保屋野初子編 「緑のダム」-森林・河川・水循環・防災- 築地書館(2004)

 森林には,「水をゆっくり流す機能」と同時に,「水を消費する機能」が備わっていることは「はじめに」で述べたとおりである。森林が渇水に及ぼす影響については,「ゆっくり流す機能」がプラスに作用する一方で,「水を消費する機能」がマイナスに作用するために,そのどちらが強く作用するかで,渇水を緩和する場合,影響が無い場合,渇水を激化させる場合の三通りのいずれかになるかが決まる。
 これまで世界中で行われた,森林と渇水の関係を調べた研究では,森林が渇水を緩和した事例は皆無に近く,ほとんどの事例が,渇水が激化するか影響がない,という結果であった。
 都会に住み,現実の森林を知らない多くの人は,森林が渇水を緩和してくれるというイメージを持っていると思われるが,科学的な調査の結果は,そのようなイメージとは異なるものである。一方,森林や山地渓流のことをよく知っている地元の人は,拡大造林により流域の森林が広葉樹林からスギ林になってから,多くの谷に水がなくなったという事実を認識しているが,これはスギ林が広葉樹林よりも蒸発散による水の消費量が多いために,以前より渇水が激化するようになったことの表れだと考えられる。

 蔵治は,この本の中でこう書いてある。これは,森林科学や水文学の世界では,いまや常識のようで,行政の不勉強が県民に誤解と錯覚を与えているとすれば,それを正すのが科学者の責務であり,ジャーナリズムの義務でないでしょうか? これまでも,既に四国新聞は,若い世代を誤った認識のまま,こんな報道もしてきているのですから・・・・。



 長くなってきたので,ここでは割愛しますが,「災害に強い森林づくり」も同じことです。はげ山時代ならともかく,現在の香川の森林状況の下で危惧があるとすれば,人工林の間伐など手入れが遅れていることです。でも,この場合でも,じゃあ完璧に間伐ができて手入れが進めば,土石流や山腹崩壊などの土砂災害が起きなくなるかといえば,そんなことはありません。通常,時間雨量が20ミリ,日雨量が80ミリを超えると国庫負担の災害復旧事業の対象になります。香川県が平成16年に未曾有の土砂災害に見舞われたことは記憶に新しいと思いますが,あのときは,時間雨量が60〜100ミリ近くに達し,連続降雨量は300〜600ミリを記録するような豪雨でした。当然,手入れが充分でない人工林は災害を受けやすいでしょうが,だからといって手入れが出来ていれば万全かというとそうではありません。 地形・地質やその時の集中豪雨の程度や風の通り道に当たると,どんなに手入れされた森林でも破壊されてしまいます。



 これは,中静 透「森のスケッチ」東海大学出版(2004)に掲載されている秋田スギの風倒の様子です。自然界では,時として,信じられないようなエネルギーで森林が破壊されます。しかし,人間の側から見れば「災害」であっても,自然の側からだけ見れば,それは「ギャップ形成」という長いスパンでは森林社会が多様性を保ちながら永続していくための自然の更新システムとしての「必要」であるともいえるのです。(勘違いしないでいただきたいのは,だからといって私が人工林の手入れなどほおっておけば良いのだと言っているように勘違いされる方がおられるようですが,決してそういうことではないので誤解しないでください。)



 さらに,日本でも最も信頼できる生態学者 吉良竜夫先生が,「森林と環境・森林の環境」新思索社(2001)の中で,こんな風に書いています。
(§1-1 日本の森林と文化 から一部抜粋)
農業的林業・農民的森林観
 伐採すべき自然林がほとんどなくなり,炭焼きも廃れた今の日本では,林業イコール植林ということになった。そのせいもあるだろうが,特に近年は林業の農業化が著しい。

 こういう農業的林業のセンスでは,手入れのとどいていない林は,雑草の茂るにまかせた畑のように,荒廃して見るに耐えないものであろう。しかも,木材生産の農業化・集約化がすすむ一方で,山村は過疎で労働力の不足に苦しみ,手入れの悪い植林がどんどん増えているので,日本の森林は荒廃しつつあるという嘆きと憂慮の声が,さかんにあがっているのが現状である。そのこと自体は当然で,林業の集約化も日本にはふさわしい方向だと思うけど,気になる点が少なくない。第一に,このセンスと考え方を,植林だけでなく,森林一般に広げた議論が多いのが困る。

森林は・・・自然のままに放置されている。・・・・その結果は木の成長は阻害され,森林の中心から枯死がすすんでいる。・・・・森林はますます活力を失いつつある。・・・・かつて薪炭林として利用されていた里山の現状は,惨憺たるものである。・・・・だれもそれを利用しないから,雑草やツタがはびこるに任せられ,ジャングル化している。・・・適正に木を伐り,必要な手入れをしなければ緑の維持ができないことは,ただ技術的にいっても疑いをいれない。(大内 力)

 これは経済学者の意見だが,植林の理論を自然林に持ち込んだ議論の典型的なものである。
 手入れをしない森林が活力を失って枯れてゆくなどというのは,天然林に関する限り,まったく事実ではない。この考え方には,天然林の環境保持力や美しさについての認識が,完全に欠けている。その結果は,よくあるように,原生林が成長がとまっているという理由で「老齢過熟林」なとどよび,若い植林に置き換えたがることになる。伐採されなくなって自然林に戻りつつある炭焼き山も,山村経済のためには何とか利用の道を見つけたいが,自然・緑の保全,防災などの立場からは,好ましい存在である。戦後に日本の自然がひどく痛めつけられたのは,開発工事のせいだけではなくて,こういう過度の農民的センスもあずかって力があったように思う。


 弥生農耕文化の渡来から二千数百年の間に,日本人はあまりにも弥生的人間になりすぎたのではないだろうか。自然そのものよりも,庭園の中に囲い込んだ疑似自然のほうをめでているうちに,山の民がほそぼそと伝えてきた縄文的自然観---もしそういうものがあったとすれば---−も,林業の植林業化とともに滅びようとしている。
 窮地に立っている日本林業のゆくては,まだ見通しがつかないが,植林の集約化だけでは生き延びられそうもない。もう一度山の民の伝統をふりかえって,新しい試みはできないものだろうか。

 吉良先生のこの指摘は,非常に重いものだと思うんです。大抵の人の間では,「最近 山が荒れてねぇ!」とか「森へ行こうにも藪になってしまって,荒れ方がひどいんだよ!」という会話が日常化していますし,里山の荒廃は目を覆うばかりと誰もが思っているんですよね。ましてや,吉良先生もいうように大内力元東大副総長のように日本のインテリの中枢からこういう発言が広まると,みんな「そうだ!そうだ!」ということになっているのも無理ないといえばそれまでなのですが,ここは,森林技術者の端くれとしては,なんとしても誤解を解いておかなければと思うのです。
 繰り返しになるかも知れませんが,香川だけでなく今,日本中の森林が,ある面では,林業の不振,また1960年以降エネルギー革命,肥料革命のおかげで薪・柴を必要としなくなって人間の干渉がほとんどなくなりましたので,いったんはげ山まで劣化し,マツ林として復元され,その後,松食い虫被害の蔓延(松食い虫のことだけでも,その理解には相当の整理が必要なので,また別稿をおこしましょう。白砂青松の意味するものとかマツタケが採れなくなった理由とか・・・)によって,広葉樹林に遷移していますが,外から見ると人を寄せ付けない「雑然とした森林」に見えるわけですよね。それで,荒れていると思うんですよね。
 でもね,彼らは,自然の摂理に従ってアベマキ・コナラ林として,そこにあるだけじゃないですか?お気の毒にマツのように用材としては,クヌギやコナラは使えないかも知れません。また,その下層植生として生えているヤマウルシ・ネジキ・モチツツジ・コバノミツバツツジ・ヒサカキ・ナツハゼ・ネズミモチなどなどはあなたのお役に立たないかも知れません。森の縁,林縁(りんえん)には,アオツヅラフジ・ヤマフジ・テイカカズラ・ビナンカズラなどのツル類やトゲのあるジャケツイバラやサルトリイバラなどがたくさん生えているので,あなたは簡単に森に近づけないかも知れません。
 でもね,これは「荒廃」しているんじゃないんですよ。暖温帯性落葉樹林としてのアベマキ・コナラ林の植物社会の構成員があるべき森に当然に生息しているだけですし,どんな森でも森の縁には「マント群落・ソデ群落」といって森林植物社会の必要装置(森林内の環境を一定に保つためのドアだと考えられている)としてツル・トゲ植物が生えているのがあたり前なのですよ。かつて,農用林として,柴刈りやコクバカキでお世話になった時代が長いものですから,自分の記憶にある里山の風景と,今の違いがあまりに大きく,かつ里山の森に入ろうとするとトゲのあるノイバラなどで痛い目にあわされるものだから,「森が荒れている」とお怒りになるのでしょう。
 どうしたらいいでしょうか? 薪・柴刈りを再開すれば,きっとあなたが思うような「すっきりした森」が「再生」するかも知れません。でも,誰が薪・柴を利用するのでしょうか?

 このことが,別稿で書き始めている「マツ・スギ・ヒノキ・ザツの不幸」に繋がっていくのですが,林野庁行政や都道府県の林務関係者が,普通使っている「森林の整備」という言葉は,ほぼ「人工林の整備」=「林業振興」=人間に有用な樹種の植林=木材生産コンビナートの造成 と理解していいでしょう。いや!そんなことはない直島の山火事跡地の植林や崩壊地の復旧治山事業のように木材(用材林)生産を目的としない森林の整備も行っている,という反論も聞こえてきそうですが,確かにそうですが,そういう整備には,既に時々にみんなが緑の募金をしたり,コープかがわの環境保全基金から多額の寄付金を頂いたり,はたまた,治山事業のように国費が支出されて,いわば順調に復旧してきたではありませんか?



オイスカの研修生と山火事跡のボランティア植林に汗を流した県民達2004.11




本島の山火事跡地も2006.11月のボランティア植林でほぼ完了した

 さあ,ここまでご理解いただけたでしょうか? 振り返って今,新たに「新税」まで構想して,県民に負担を求めようとしている「森林整備」とは,いったい具体的に何をどうすることをいうのでしょうか? 
 おそらく,その具体は,「人工林の手入れ不足の解消」「間伐の確実な実施による健全な人工林の育成」ということになるのではないでしょうか? 
 まず,なぜ せっかく植林したヒノキやスギ人工林の手入れが出来なくなったのでしょうか?
 それより前になぜ植林したのでしょうか? 水源涵養のためでしょうか? 地球温暖化防止のためでしょうか? はたまた災害防止のためでしょうか?
 いいえ! 答えは NOです。
 先に説明しましたように,本当に荒廃していた1960年以前の香川県の場合に限っていえば,木材生産という目の前の必要性と,はげ山から流れ出る土砂を抑えたり,洪水防止のために森林の持つ水源涵養機能を高める必要性が同時に求められましたから,公益的機能の確保のために個人の森林所有者も森林整備に励んだといえないことはないも知れません。しかし,香川県の場合,そういう背景で植えられたのは,香川という寡雨(かう:降水量が少ないこと)・瘠悪地帯(せきあくちたい:土地の生産力が低く痩せていること)でも成長が期待できるクロマツ・アカマツだったのですが,その投資を回収しないまま松枯れで森林資源としては消失してしまいました。その跡地に植栽されたのが,ヒノキだったのです。丁度,第一次オイルショック以降,国産材の価格が高騰しました。特に,ヒノキは1980年に丸太素材の平均価格で約76000円/m3になるなど右肩上がりの価格高騰と枝打ちをして無節材など高級化粧材を生産すれば何十万円/m3にもなるという市況が続いたので,全国,零細森林所有者も含めて一攫千金の夢を追うが如くヒノキの植林が行われたのです。
 そうなんです。森林所有者の人たちが自分の持ち山に一生懸命,額に汗してヒノキを植林したのは,将来の財産形成が目的であって,別に,国土保全や水源涵養機能を高めて下流の人たちの幸せを第一に考えたわけではないのではないでしょうか。そして,その後,木材需給のバランスや消費動向が大きく変化して国産材の価格は急落してしまいました。その結果,伐採時期が来て全部立木を伐採(皆伐:かいばつ)しても,山主の手元には数十万円/haしか残らないという事態になっているのです。当然,それ以前の間伐など作業効率の悪い伐採作業だと,搬出・販売すればするほど赤字になるため,せっかくの資源も山で切り捨てるしか方法がなかったり,国や県の補助金で相殺してなんとかプラスマイナスゼロにするのに四苦八苦している現状です。要するに,個人の場合,収益を期待して投資してきた人工林経営が行き詰まる中で,いくら補助金が出るといっても新たな投資が必要な人工林の手入れには投資できないというのが現状なのです。香川でも山奥に行けば行くほど「限界集落化」が進んでいます。どの家も子ども達はみんな都市部に流出していて,残っているのは高齢者ばかりです。限られた年金資金から生活にプラスになるあてのない人工林の整備にもはや投資するだけの体力は無いのだと思います。
 こういう事態が大面積に広がっているのが,高知県など国の拡大造林政策を忠実に実行した林業県です。それらの県の事情は,森林の公益的機能の確保よりは,地域社会,地域経済の確保のために「林業振興」の心臓としての人工林経営を放棄できない環境にあるのでしょう。
 一方,専業林家は二人しかいないといわれる香川では,人工林所有者の大半が5ha以下の零細所有者です。既に林業をあきらめて年月が経っている上,森林としてではなく土地資産として山林を保有している人が大半となっています。だから,間伐が遅れていようと台風で木が倒れようと全く無関心です。
 そういう人たちの人工林の手入れをどうすればよいのでしょうか? 仮に,財源対策が出来たとしても国や県が公益的機能維持増進で税金を執行しようとする目的と森林所有者の保有目的は一致しないわけですから,森林所有者にゆだねることは困難ですし,個人財産管理に行政が介入するとなると,何らかの財産処分に関する行政と所有者間の取り決めが必要になるのではないでしょうか? 例えば,必要な人工林の手入れは所有者に代わって行政が負担する代わりに,水源涵養や災害防止機能を将来にわたって担保させるために非皆伐施業協定(皆伐すると人工林であれ有する公益的機能が消失するので,木材生産機能より公益的機能を優先させることを双方が確認して,伐採するにしても抜き伐りのかたちにして皆伐をしない約束を結ぶこと)が必要になるかも知れません。果たして,財産制限を受け入れる森林所有者がどれくらいいるでしょうか?



管理放棄されたヒノキ人工林(三豊市 2007秋)

 この他に,このまま時代が推移すれば,森林の所有境界さえ分からなくなることが確実ですから,森林所有者の協同組織であり森林管理組織でもある「森林組合」に人工林の適切な管理権限を委任させることによって「所有権」と「管理権」「利用権」を分離させるシステムを導入して,そのケースに限って行政経費(県民の税金)で人工林管理を行うなどの方策も考えられます。

 いずれにせよ,人工林資源を木材資源・水源涵養機能などの公益的機能の環境資源としてではなく,単なる土地財産として保有している性格が強い香川県において,行き詰まっている人工林の間伐・手入れ問題は,単に「手入れ費用」「財源」だけでは片付かない問題がたくさんあります。
 今回のアンケート結果は,こうした問題には何も触れていないし,説明もしていないから,「森林整備」は必要という「総論賛成」の部分だけになっているのではないでしょうか?



昨秋,林業精励で黄綬褒章を受章した東川政太郎氏の家訓。
この精神と気概があって初めて人工林施業を行う資格となるのではないか!

 さて,県民が,「今以上に森林整備を進めて欲しい」と感じているとしたら,それは何を期待しているのでしょうか?

 以上,述べてきたように,現時点では,県民は「森林の整備」という言葉に大きな誤解があり,総論賛成のステップにしか立っていません。各論がないまま答えが一人歩きしないように,四国新聞は,健全なジャーナリズムとしての責務を果たすことを望むのみです。
  

Posted by quercus at 14:58Comments(4)TrackBack(0)人と森の絆

2008年02月09日

マツ・スギ・ヒノキ・ザツの不幸

ナイショ
基本的な質問ですが、「香川の森の問題」というのはなんですか?
そして、そこで、森林ボランティアはどのように関わることが大事ですか?
高知みたいに、経済林としてなりたつ施策をするほど大きなお山ないし・・・・
植えるとこないし・・・・・

ナイショ


 例えば,色んな「勘違い」や「誤解」や・・・時には「欺瞞」が世の中には,満ちあふれているわけなんですよ。何気なく聞いていると心地よい言葉も,実は「毒入り饅頭・・・今なら餃子かな?」だったりするわけで,物事の本質ちゅうもんを見誤ったらえらいことになる泣きというおはなしです。
 ただ,君が困っているように,「専門的」な話になるので,これまでの経緯・歴史など背景整理が出来てないと,片手落ちの議論になってしまいます。かといって,いきなり全てを話しても君の頭がパニックになることは 今までもよくあったよね。
 だから,本当は,ちょっとおかしいんじゃないの?ってことでも,一応,自分で体験しといてもらわないと,本当に何が問題なのか分からないと思って,これまでも おかしいことも一通り目をつむって経験してもらってきたんだよね。

 まず,「森林の整備」という話の時,いつでも,森林の整備には,地拵え・植栽・下刈り・ツル切り・除伐・枝打ち・間伐・・・と大変な苦労があるという話を聞かされているよね。でも,厳密に言うと,これは商業林業のための「皆伐・一斉更新」という「人工林施業」に限ってのひとつの「体系」の話であって,決して「森林の整備」全てではないのです。
 林業の形にも,そういう体系を基本とする針葉樹のスギやヒノキ(かつて松食い虫被害が蔓延する以前はマツ,本州以北ではカラマツなど)を植林する用材生産もあれば,自然林からクヌギやコナラを伐採してシイタケ栽培の原木をとったり炭に焼いたりする広葉樹林施業というのもあるでしょ。でも,後者は,伐採した後は,植林したり下刈りしたりせんでしょ。自然更新・萌芽更新です。 モヤカキといって萌芽枝を早く間引いて株立ちを助ける施業もあるけど,大抵はほったらかしです。

 要するに,「森林の整備」は,戦前・戦中の乱伐,森林資源の枯渇を受けて,木材需要が逼迫していた時代背景のもと,植林(針葉樹用材林造成)が大きな「社会問題」であったから,子どもの教科書に「人工林の整備」=「森林の整備」として記載され,国民に「植林=絶対 善」として教育・普及されてきたのです。

 大学の農学部・林学教育も,実学として人工林整備技術,収穫最多の方法論などが教育の中核をなしていました。1960年代に,京都大学に四手井綱英先生がそれまでの「造林学講座」を「森林生態学講座」に改組してから,その門下生が各地方大学で先生の教えを広めていったおかげで,最近は,少しは森林そのものを扱う教育に変わってきましたが,かつては,「マツ・スギ・ヒノキ・ザツ」教育が太宗でした。
 即ち,林学というものは「森林学」ではなく,人間に「有用」かどうかが樹木・森林の価値であって,役にたたないものは「ザツ」という十把ひとからげであったのです。ブナがそうでしょう。ブナは,漢字で「橅」という字で「木で無い」という扱いだったのです。
 確かに,山村社会の経済的発展を考えたときに,林業という産業を生業として生かしていくことは,日本が一方で工業化社会を突き進み,所得倍増計画を達成して経済的豊かさを獲得してきた昭和の時代を振り返ると,国土の均衡ある発展を企画する国家政策としては,「林業振興」や農業振興は大きな課題であったのは間違いないことだと思います。
 しかし,現実には,戦後,敗戦と共に大量に発生した引き揚げ者による雇用対策の場として機能した「植林」「農地開墾」などの仕事は,日本の自然環境・地形的特質から機械化や大規模化がかなわず,平行して工業地帯や都市形成の安価な労働力として,農山村から優秀な若年人口を流出させる政策をとってきた結果が現在ではないでしょうか?

 (つづく)  

Posted by quercus at 12:10Comments(1)TrackBack(0)人と森の絆

2008年02月08日

戦後林政のあやまち -4-




粗雑な工事が大問題となった南アルプススーパー林道工事(1975)@nacs-j日本自然保護協会


明治以降熾烈を極めていた日本の森林利用と森林荒廃は,保安林施策,治山事業によるはげ山復旧,そして 国土緑化運動/緑の羽根募金による普及啓発事業等で昭和30年代までにおおむね復旧したと思います。
それは 同時に 「石油文明に依存する生活様式」に大きな舵を切ったときでもあったのです。



福島県白川営林署ブナ・アスナロ原生林伐採(1972)@nacs-j日本自然保護協会

昭和33年にスタートした 国有林の生産力増強計画は いわゆる「拡大造林」施策のスタートなのですが,高度経済成長路線に乗り遅れまいと林野庁が推し進めたもので,これは 「緑の事業」であるべきものが 当時から色んな自然破壊を起こして自然保護運動の引き金になるとともに,全く違う形の新しい「森林荒廃」を作り出すことになるのです。

この拡大造林は,当初は,急増する木材需要に対応するための緊急伐採的性格も持っていたのですが,高度成長時代の中で,工業的発展の形を模倣し,年成長量最多のピークで主伐することによって,最も効率的に木材生産が出来るという森林を「木材生産コンビナート」に見立てる構想でした。
だから 林業の本質である「保続の原則」=成長量(利子)の増加分だけ 伐採すれば林分蓄積(元本)は減らない)を無視して,過伐を16年間続けたのです。



四手井綱英:「森の声を聴け」(1980) くりまno.2文藝春秋

同齢・単一樹種・大面積の造林は,病虫害や災害に弱いという林学の教科書に書かれている基礎を無視して,同じ施業体系を 全国森林計画制度を通じて 民有林にも徹底させた。
里山の薪炭林利用が利用目的を失っていたこともあって 広葉樹林を生産性の高い針葉樹林に植え替えることを「造林補助金制度」で推進しました。
そして 里山地帯の造林が終わると 冷温帯ブナ林や亜高山帯シラベ林まで拡大造林の対象として,自然生態系を無視して伐採・造林を進めた結果,粗雑な林道工事や大面積皆伐によって貴重な植物群落の破壊や山腹崩壊などの土砂災害を引き起こし,全国各地で自然保護問題が発生したほか,植栽した苗木の活着不良で不成績造林地になった事例が少なくありません。

国有林の経営は,独立採算制という特別会計で運営されており,当初は大幅な黒字だったのですが,昭和50年を境に赤字に転落し,昭和55年に3000億円の赤字がその後平成9年当時3兆5千億円にまでふくらみ,第二の国鉄いわれて 経営破綻した。

拡大造林の失敗は,当初から過ちを指摘されながらなかなか修正されることなく,昭和末期の 知床原生林伐採や白神山地のブナ林伐採問題が世間の大批判を浴びることとなって,やっと国有林の在り方が問い直されることとなりました。
国有林は人工林率60パーセントを目標に施策を続けようとしていましたが40%でストップしました。民有林は,国有林の経営破綻後も拡大造林施策を継続しており,制度としては平成13年の森林・林業基本法の大改正まで盲目的に国の施策に追従してきたと考えられます。
(つづく)

  

2008年02月06日

戦後林政のあやまち -3-




木を伐るのは「悪」であった。木材資源は,戦前・戦中の乱伐で枯渇しており,戦後復興資材として,また熱源として大切な森林資源はどん底であった。
お正月の門松づくりにマツの穂が必要であったが,戦後造林樹種のホープ(痩せ地でも早く成長する)のマツの穂先が伐られると成長に大きな影響が出る。
だから,国民新生活運動の一つとして,門松は「紙」になった。




それほど,山が荒廃しており,「森林整備」の必要性が国民にしみ込んでいた。

しかし,いわゆる「1960年」を境として,日本の森林事情は,大転換に向かう。 
(つづく 拡大造林への道 )  

2008年02月06日

戦後林政のあやまち -2-


これは地理学の先生で千葉徳爾(ちばとくじ)というはげ山の社会学的研究の第一人者が書いた名著「はげ山の研究」に示されているはげ山とはげ山移行林地の分布図である。瀬戸ものの産地であった愛知県の多治見地方,古くは平城京・平安京の時代から都建設のために大量の木材伐採が続いた近畿地方,そして製塩業が盛んだった瀬戸内沿岸。



これは,まんのう町の炭所西生産森林組合誌に掲載されている昭和6年の荒廃地復旧治山事業の写真である。古老の話では,この写真現場は,満濃町江畑奥ではなく,現在の高松市香川町のマツノイパレスあたりの写真でないかという。

このような状態を,我が国では「荒廃林地」と定義づけて,森林整備を進めてきた。
そして,戦中戦後の伐採跡地の植林も含めて,それこそ先人の偉業といえる大造林が実行されたのである。









天皇陛下が全国を回って国土緑化運動を呼びかけ,自らも「お手植え」を続けた。国民は,木を切ってはいけない。木は植えるものであると覚え込まされた。緑の羽根を皆が胸につけて募金した。  
タグ :緑の羽根

2008年02月06日

いきなり結論!戦後林政のあやまち-1-

「あなたは森林整備は必要と思いますか?」
(思う,分からない,思わない)・・・・・というアンケートがあったらどれに○をつけますか?
おそらく,大方の人が「思う」に○をするのではないか。森林整備は必要ないという回答として「思わない」を選択する人がいたら,きっとその人は,日本の森林の現状によほど詳しいか,若しくは森林に全く無関心であるかのいずれかであろう。



これは,岡山県が作成した保安林制度100周年記念誌「岡山県治山事業のあゆみ」に掲載されている池田村(現総社市)宍粟地区の明治32年のはげ山の写真である。
こんな山を放置すると降雨の度に雨裂浸食(ガリー)が進み,ますます山地は荒廃するし,下流は流出した土砂に埋まることとなる。

これは同じ箇所を5カ年かけて治山事業で山腹工事(荒廃した山腹斜面に等高線上に水平の溝を設置し,そこに柴等の有機物で階段を作り縦浸食を防止すると共に,階段上にマツとヤシャブシなど肥料木を植栽し森林復元を図る工事)を実施した明治37年の写真である。



これは,時代は50年以上経過した昭和31年の丸亀市本島の荒廃状況である。
これも このまま放置すると下流に土砂は流れて災害のもとになるだろうし,なにしろ森林が成立しないままでは森林の公益的機能はおろか景観上も瀬戸内海国立公園のど真ん中として多いに問題がある。
だから,治山工事という森林法で規制され森林所有者の負担によらない行政執行によって森林復旧=森林整備が行われてきた。



これは,はげ山の一歩手前「荒廃移行林地」という区分で管理されていた荒廃地の写真である。

どうして こういう事態になっていたのか?
台風災害で土砂崩れが起きてこうなったわけではない。
これらは,いずれもいわゆる「1960年」以前の写真・状況である。つまり,燃料・肥料革命以前の日本の森林の実態である。「過剰利用」の典型・・・・毎日の炊事・風呂の熱源,製塩業のための燃料源,農業のための有機物供給源・・・ひどくなると根っこまで 木だけでなく草の根までおがして持ち帰る生活だった。そのなれの果てが,こうしたはげ山を生んだ。  

2008年02月05日

『森林道場』を始めます。





我慢ならない 一日だった。
間違った森林認識を正したい。


今日から スタート。

ほんとうの人と森の絆をつなぐために。  
タグ :森林道場

Posted by quercus at 23:44Comments(5)TrackBack(0)人と森の絆