2008年02月17日
森の恵み
これは何だか分かりますか?
そうです。えんぴつ・・鉛筆です。しかも,世界に一本しかない手作り鉛筆。昨日,ドングリランドに“えんぴつおじさん”ことF西さんがお出ましになり,器用に,しかも愛情込めて作った一本をいただきました。
この日,F西さんは,朝,こにふぁの間伐作業に出かけようとガソリンスタンドで給油中,セルフ給油機のトラブルで思わぬ時間をとられ,集合時間に間に合わなくなってしまい,思案の結果,ドングリランドで鉛筆づくりをして一日を過ごすことにしたのだとか。。。ラッキー
材料は,クスノキ・ナナミノキ・アラカシなど里山にふつうに生えている広葉樹の萌芽枝です。昔は,こういう柴を刈って燃料に重宝していたのですが,電気やガスが普及して50年,「柴刈り」ははるか彼方の世界,・・・・おじいさんが柴刈りになんてのはおとぎ話の中のことで現実にそうだったことを知っている世代がどんどん少なくなって・・・やがて,本当に知らない人ばかりの社会に移り変わろうとしています。
↑ これは昭和初期の満濃町炭所西での炭焼き小屋あたりの光景
今は,誰も柴を刈りに来なくなった森。森は,人が来なくなって寂しい思いをしているのでしょうか?それとも,やっと静かな森に戻れてほっとしているのでしょうか?
しかし,人間社会の方は,地球温暖化などの深刻な環境問題を抱え,将来にわたって持続可能な社会システムについて真剣に考えなければならないときが来ているのではないでしょうか?
日本の林業は,“安い外材に圧されて木材価格が低迷するとともに”過疎化・高齢化など生産地の社会環境の脆弱化で瀕死の状態にあるといわれています。ある一面では,確かにそうなのですが,またある面では,林業という長期性を無視してきた国(官僚政治)の失政に翻弄されているだけともいえるのでは無いでしょうか?
戦後の旺盛な木材需要を背景に薪炭林業の世界から一気に全国の山村に吉野林業の施業体系を基本にした用材林業を拡大した国の政策は,土地改良事業を優先し八郎潟を干拓するなど大規模化を推進し続けてきた水田農業が,結果として,米需給が軟化し米価が生産費を下回る負の生産システムになってしまったことと似ていると思いませんか?50年前に絶対的に木材不足だったのに,どうして今「国産材の需要拡大」にまた税金を投入しなければならなくなったのか,その歴史を,ここで振り返ってみる必要が多いにあると思うのです。
森は,用材を生産し,山の人の暮らしを豊かにしてきたでしょう。しかし,一方で都市の豊かさとは格差が広がるばかりで,今は過疎という言葉を超えて「限界集落」という言葉で語られる時代になってしまいました。
この小さな森の恵み。F西さんの一日を支えた小枝たち。
シャープペンで育った世代の大学生が手作り鉛筆に嬉々として挑戦しました。
小さな小枝がくれた至福の時間と絆。・・・こんな森の恵みも大切にしたいものです。
Posted by quercus at 13:24│Comments(1)
│国産材ビジネス
この記事へのコメント
良い授業ですね。
教えていただきたいです。
教えていただきたいです。
Posted by 讃岐で働く社長 at 2008年02月17日 16:21