2008年02月11日

新たな税負担76%容認?? ことの本質と真相を!

新たな税負担76%容認?? ことの本質と真相を!



四国新聞の報道によると
1. 森林整備の財源として新税など県民に新たな負担を求めることについて,「負担の程度によって」といった条件付きを含めると,「求めてもよい」とする県民が76%に上ることが,県政モニターアンケートで明らかになった。

2. 理解を 示した人に許容できる負担額を聞いたところ,「500円」が最も多く32%。次いで「1000円」(29%)「1〜499円」(16%)などで,500円以下でほぼ半数。「2000円」以上も11%あった。

3. 森林整備の進め方は,「これまで以上に力を入れるべき」が65%で,「必要ない」はわずか1%。

4. 森林に期待する働き(複数回答)では「山崩れや洪水などの災害防止」「地球温暖化の防止」がともに60%で最多となった。

5. みどり整備課は,結果について「地球温暖化など,環境問題への意識の高まりが数字に表れた」と分析。


 この記事の内容を要約すると,こんなことになるのでしょうか? つまり,

『県民は,最近多発する山崩れや洪水などの自然災害は,自分の暮らしを直撃する一大事として大いに関心を持っているし,地球規模での気候変動がそれらの原因の一端を担っているとしたら「温暖化対策」の一つとしての森林整備に対して,ワンコイン「500円」程度でよいのなら,大いに賛成,どんどん森林整備を進めて欲しい。』

 と考えているということでしょう。
 これは,県政に関心の高い「県政モニター」という母集団に対する結果なので,県民全体がどう考えるかについては,「さらに広く意見を求めた上で慎重に議論する必要がある。」とみどり整備課は答えたようです。
 いや,県民みんなそう思っているのではないですか? ワンコインで「山崩れや洪水を防ぐ森林整備」や「地球温暖化が防げる森林整備」が進むなら,私だって大賛成ですし,「50000円」でも負担します。

 こんな報道が,本当に「県民の幸せ」に繋がるのだろうか? 四国新聞は,アンケート結果という「事実を報道」しただけというかも知れない。しかし,中身を検証する責任を怠っているのではないかという疑問が大いにある。豊島事件の教訓は,まだ生かされていないのではないかという危惧も再び頭をもたげてくる。

 私たち森林技術者としては,「災害や渇水に強い森林づくり」という県民の期待に応えられるような技術は今のところ無い(次に示すような治山技術・はげ山緑化技術は別として・・・)というのが,正直な回答である。

 私たちの郷土 香川でも,おおよそ50年くらい前までは,日々の生活資源(燃料・肥料・飼料)の大半を山から薪・炭・柴・茅などに頼っていましたから,山は人間による過剰利用(自然の略奪)によって,疲弊・荒廃していました。
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 これは,丸亀市本島町の1950年代の写真ですが,こうした荒廃状況に更に亜硫酸ガスの雨(今でいう“酸性雨”のきつい雨)によって一木一草生えない状態にまで荒廃した直島の緑化の写真があります。
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 おそらく当時,精錬所の銅の精錬は順調だったのでしょうが,工場がある島の北部はこうした荒廃地になり住民の周辺環境や漁獲高の減少など,森林荒廃の影響が大きかったのだと思われます。
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上の写真は,降雨の度に雨裂浸食が進んで土砂止めのダムに土砂が流れ込んでいる様子です。
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 こうした荒廃地復旧のために,当時,治山事業で多大な労力と費用が投入され,水平の階段を人力で切りつけ,失われた土壌環境を復元するために有機物・堆肥をすきこみ,縦浸食防止工が施されました。そして,階段上には,肥料木(根っこに根瘤菌という空中の窒素を固定する機能を持っている)としてヤシャブシと乾燥・痩せ地でも育つことが出来るクロマツの苗木が植えられました。
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 昭和25年に完成した復旧工事は,その8年後の昭和33年には,緑で覆われ,緑化工事の第一期が完成しました。(しかし,直島は,その後,肥料木の衰退や松枯れの進行,はたまた山火事による森林喪失などいまだに緑化が必要な最も重要な場所であることに間違いない)
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 こうした「森林荒廃」に対する治山技術は,先人達のかけがえのない苦労の上に,工法的には一定の集積がありますし,必要とあれば再現・復元も可能でしょう。また,最近は,緑化産業(例えば日本植生株式会社のような緑化工法専門会社)が発達してきていますから,費用さえ惜しまなければどんな場所でも植生復元が可能な時代になっています。(ただし植生の基礎の復元までで,失われた自然環境が戻るには長い年月が必要であることはいうまでもありません。)
 しかし,石油文明に支えられて,また,ある面では木材輸入と集成材技術の発展によって「森林荒廃の時代」が終わった今,私たちは,香川の森林に何を求めているのでしょうか?
 「森林整備」すれば,渇水から救われると思っているのかも知れません。また,「森林整備」すれば土砂災害が防げると思っているのかも知れません。確かに,上で説明したように「1960年」以前の森林荒廃の時代には,「森林整備」=「荒廃森林整備」=「植林」「造林」=「水源涵養」「土砂流出防止」機能の増進=県民の安心・安全の確保という図式が成り立っていたでしょう。
 でも,今は違います。
 今,香川では,こうした荒廃地が広がっているわけでもないし,松枯れが深刻だった頃,森林消失の危機感があったにしろ,その後,アベマキ・クヌギ・コナラ林やクスノキ・カシ林などが自然更新し,香川の山は穏やかな状況にあります。
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松枯れの跡,自然更新したアベマキ・クヌギ・コナラ林(まんのう町 2007秋)

 最近頻発する異常渇水は,おそらく地球規模での気候変動と関連して発生しているのでしょう。90日も無降雨期間が続けば,あの巨大な早明浦ダムでも空っぽになってしまいます。それは,雨が降らないからです。森林が荒廃しているからではありません。確かに,早明浦ダム上流域は行きすぎた人工林政策の結果,間伐など手入れが充分に行き届いてない人工林が広がっています。その人工林をいくら手入れして,全ての人工林が理想的な管理の下に置かれていたとしても,90日も無降雨期間が続けば,ダムは空っぽになります。人工林であれ,自然林であれ,森林は生き物ですから,人間が喉が渇くように,渇水状態になればなるほど,最低限自分の命の維持に必要な地中の水分を吸い上げます。そうしないと自分が枯れてしまうからです。鉢植えの植物を想像してください。水やりを怠ると夏場,高温時には一日で植物はしおれてしまうでしょ。はげ山時代でない今,いくら「森林整備」を進めても「渇水」対策にはなりません。森林には,降雨以上に水を増やす機能はなく,逆に,一定規模以上の渇水時には,川への流量を減らしますから,人間の渇水よりも自分の命に水を消費してしまいます。
 「渇水に強い森林づくり」という言葉は,現代においては詭弁です。
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 蔵治光一郎+保屋野初子編 「緑のダム」-森林・河川・水循環・防災- 築地書館(2004)

 森林には,「水をゆっくり流す機能」と同時に,「水を消費する機能」が備わっていることは「はじめに」で述べたとおりである。森林が渇水に及ぼす影響については,「ゆっくり流す機能」がプラスに作用する一方で,「水を消費する機能」がマイナスに作用するために,そのどちらが強く作用するかで,渇水を緩和する場合,影響が無い場合,渇水を激化させる場合の三通りのいずれかになるかが決まる。
 これまで世界中で行われた,森林と渇水の関係を調べた研究では,森林が渇水を緩和した事例は皆無に近く,ほとんどの事例が,渇水が激化するか影響がない,という結果であった。
 都会に住み,現実の森林を知らない多くの人は,森林が渇水を緩和してくれるというイメージを持っていると思われるが,科学的な調査の結果は,そのようなイメージとは異なるものである。一方,森林や山地渓流のことをよく知っている地元の人は,拡大造林により流域の森林が広葉樹林からスギ林になってから,多くの谷に水がなくなったという事実を認識しているが,これはスギ林が広葉樹林よりも蒸発散による水の消費量が多いために,以前より渇水が激化するようになったことの表れだと考えられる。

 蔵治は,この本の中でこう書いてある。これは,森林科学や水文学の世界では,いまや常識のようで,行政の不勉強が県民に誤解と錯覚を与えているとすれば,それを正すのが科学者の責務であり,ジャーナリズムの義務でないでしょうか? これまでも,既に四国新聞は,若い世代を誤った認識のまま,こんな報道もしてきているのですから・・・・。
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 長くなってきたので,ここでは割愛しますが,「災害に強い森林づくり」も同じことです。はげ山時代ならともかく,現在の香川の森林状況の下で危惧があるとすれば,人工林の間伐など手入れが遅れていることです。でも,この場合でも,じゃあ完璧に間伐ができて手入れが進めば,土石流や山腹崩壊などの土砂災害が起きなくなるかといえば,そんなことはありません。通常,時間雨量が20ミリ,日雨量が80ミリを超えると国庫負担の災害復旧事業の対象になります。香川県が平成16年に未曾有の土砂災害に見舞われたことは記憶に新しいと思いますが,あのときは,時間雨量が60〜100ミリ近くに達し,連続降雨量は300〜600ミリを記録するような豪雨でした。当然,手入れが充分でない人工林は災害を受けやすいでしょうが,だからといって手入れが出来ていれば万全かというとそうではありません。 地形・地質やその時の集中豪雨の程度や風の通り道に当たると,どんなに手入れされた森林でも破壊されてしまいます。
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 これは,中静 透「森のスケッチ」東海大学出版(2004)に掲載されている秋田スギの風倒の様子です。自然界では,時として,信じられないようなエネルギーで森林が破壊されます。しかし,人間の側から見れば「災害」であっても,自然の側からだけ見れば,それは「ギャップ形成」という長いスパンでは森林社会が多様性を保ちながら永続していくための自然の更新システムとしての「必要」であるともいえるのです。(勘違いしないでいただきたいのは,だからといって私が人工林の手入れなどほおっておけば良いのだと言っているように勘違いされる方がおられるようですが,決してそういうことではないので誤解しないでください。)
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 さらに,日本でも最も信頼できる生態学者 吉良竜夫先生が,「森林と環境・森林の環境」新思索社(2001)の中で,こんな風に書いています。
(§1-1 日本の森林と文化 から一部抜粋)
農業的林業・農民的森林観
 伐採すべき自然林がほとんどなくなり,炭焼きも廃れた今の日本では,林業イコール植林ということになった。そのせいもあるだろうが,特に近年は林業の農業化が著しい。

 こういう農業的林業のセンスでは,手入れのとどいていない林は,雑草の茂るにまかせた畑のように,荒廃して見るに耐えないものであろう。しかも,木材生産の農業化・集約化がすすむ一方で,山村は過疎で労働力の不足に苦しみ,手入れの悪い植林がどんどん増えているので,日本の森林は荒廃しつつあるという嘆きと憂慮の声が,さかんにあがっているのが現状である。そのこと自体は当然で,林業の集約化も日本にはふさわしい方向だと思うけど,気になる点が少なくない。第一に,このセンスと考え方を,植林だけでなく,森林一般に広げた議論が多いのが困る。

森林は・・・自然のままに放置されている。・・・・その結果は木の成長は阻害され,森林の中心から枯死がすすんでいる。・・・・森林はますます活力を失いつつある。・・・・かつて薪炭林として利用されていた里山の現状は,惨憺たるものである。・・・・だれもそれを利用しないから,雑草やツタがはびこるに任せられ,ジャングル化している。・・・適正に木を伐り,必要な手入れをしなければ緑の維持ができないことは,ただ技術的にいっても疑いをいれない。(大内 力)

 これは経済学者の意見だが,植林の理論を自然林に持ち込んだ議論の典型的なものである。
 手入れをしない森林が活力を失って枯れてゆくなどというのは,天然林に関する限り,まったく事実ではない。この考え方には,天然林の環境保持力や美しさについての認識が,完全に欠けている。その結果は,よくあるように,原生林が成長がとまっているという理由で「老齢過熟林」なとどよび,若い植林に置き換えたがることになる。伐採されなくなって自然林に戻りつつある炭焼き山も,山村経済のためには何とか利用の道を見つけたいが,自然・緑の保全,防災などの立場からは,好ましい存在である。戦後に日本の自然がひどく痛めつけられたのは,開発工事のせいだけではなくて,こういう過度の農民的センスもあずかって力があったように思う。


 弥生農耕文化の渡来から二千数百年の間に,日本人はあまりにも弥生的人間になりすぎたのではないだろうか。自然そのものよりも,庭園の中に囲い込んだ疑似自然のほうをめでているうちに,山の民がほそぼそと伝えてきた縄文的自然観---もしそういうものがあったとすれば---−も,林業の植林業化とともに滅びようとしている。
 窮地に立っている日本林業のゆくては,まだ見通しがつかないが,植林の集約化だけでは生き延びられそうもない。もう一度山の民の伝統をふりかえって,新しい試みはできないものだろうか。

 吉良先生のこの指摘は,非常に重いものだと思うんです。大抵の人の間では,「最近 山が荒れてねぇ!」とか「森へ行こうにも藪になってしまって,荒れ方がひどいんだよ!」という会話が日常化していますし,里山の荒廃は目を覆うばかりと誰もが思っているんですよね。ましてや,吉良先生もいうように大内力元東大副総長のように日本のインテリの中枢からこういう発言が広まると,みんな「そうだ!そうだ!」ということになっているのも無理ないといえばそれまでなのですが,ここは,森林技術者の端くれとしては,なんとしても誤解を解いておかなければと思うのです。
 繰り返しになるかも知れませんが,香川だけでなく今,日本中の森林が,ある面では,林業の不振,また1960年以降エネルギー革命,肥料革命のおかげで薪・柴を必要としなくなって人間の干渉がほとんどなくなりましたので,いったんはげ山まで劣化し,マツ林として復元され,その後,松食い虫被害の蔓延(松食い虫のことだけでも,その理解には相当の整理が必要なので,また別稿をおこしましょう。白砂青松の意味するものとかマツタケが採れなくなった理由とか・・・)によって,広葉樹林に遷移していますが,外から見ると人を寄せ付けない「雑然とした森林」に見えるわけですよね。それで,荒れていると思うんですよね。
 でもね,彼らは,自然の摂理に従ってアベマキ・コナラ林として,そこにあるだけじゃないですか?お気の毒にマツのように用材としては,クヌギやコナラは使えないかも知れません。また,その下層植生として生えているヤマウルシ・ネジキ・モチツツジ・コバノミツバツツジ・ヒサカキ・ナツハゼ・ネズミモチなどなどはあなたのお役に立たないかも知れません。森の縁,林縁(りんえん)には,アオツヅラフジ・ヤマフジ・テイカカズラ・ビナンカズラなどのツル類やトゲのあるジャケツイバラやサルトリイバラなどがたくさん生えているので,あなたは簡単に森に近づけないかも知れません。
 でもね,これは「荒廃」しているんじゃないんですよ。暖温帯性落葉樹林としてのアベマキ・コナラ林の植物社会の構成員があるべき森に当然に生息しているだけですし,どんな森でも森の縁には「マント群落・ソデ群落」といって森林植物社会の必要装置(森林内の環境を一定に保つためのドアだと考えられている)としてツル・トゲ植物が生えているのがあたり前なのですよ。かつて,農用林として,柴刈りやコクバカキでお世話になった時代が長いものですから,自分の記憶にある里山の風景と,今の違いがあまりに大きく,かつ里山の森に入ろうとするとトゲのあるノイバラなどで痛い目にあわされるものだから,「森が荒れている」とお怒りになるのでしょう。
 どうしたらいいでしょうか? 薪・柴刈りを再開すれば,きっとあなたが思うような「すっきりした森」が「再生」するかも知れません。でも,誰が薪・柴を利用するのでしょうか?

 このことが,別稿で書き始めている「マツ・スギ・ヒノキ・ザツの不幸」に繋がっていくのですが,林野庁行政や都道府県の林務関係者が,普通使っている「森林の整備」という言葉は,ほぼ「人工林の整備」=「林業振興」=人間に有用な樹種の植林=木材生産コンビナートの造成 と理解していいでしょう。いや!そんなことはない直島の山火事跡地の植林や崩壊地の復旧治山事業のように木材(用材林)生産を目的としない森林の整備も行っている,という反論も聞こえてきそうですが,確かにそうですが,そういう整備には,既に時々にみんなが緑の募金をしたり,コープかがわの環境保全基金から多額の寄付金を頂いたり,はたまた,治山事業のように国費が支出されて,いわば順調に復旧してきたではありませんか?
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オイスカの研修生と山火事跡のボランティア植林に汗を流した県民達2004.11

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本島の山火事跡地も2006.11月のボランティア植林でほぼ完了した

 さあ,ここまでご理解いただけたでしょうか? 振り返って今,新たに「新税」まで構想して,県民に負担を求めようとしている「森林整備」とは,いったい具体的に何をどうすることをいうのでしょうか? 
 おそらく,その具体は,「人工林の手入れ不足の解消」「間伐の確実な実施による健全な人工林の育成」ということになるのではないでしょうか? 
 まず,なぜ せっかく植林したヒノキやスギ人工林の手入れが出来なくなったのでしょうか?
 それより前になぜ植林したのでしょうか? 水源涵養のためでしょうか? 地球温暖化防止のためでしょうか? はたまた災害防止のためでしょうか?
 いいえ! 答えは NOです。
 先に説明しましたように,本当に荒廃していた1960年以前の香川県の場合に限っていえば,木材生産という目の前の必要性と,はげ山から流れ出る土砂を抑えたり,洪水防止のために森林の持つ水源涵養機能を高める必要性が同時に求められましたから,公益的機能の確保のために個人の森林所有者も森林整備に励んだといえないことはないも知れません。しかし,香川県の場合,そういう背景で植えられたのは,香川という寡雨(かう:降水量が少ないこと)・瘠悪地帯(せきあくちたい:土地の生産力が低く痩せていること)でも成長が期待できるクロマツ・アカマツだったのですが,その投資を回収しないまま松枯れで森林資源としては消失してしまいました。その跡地に植栽されたのが,ヒノキだったのです。丁度,第一次オイルショック以降,国産材の価格が高騰しました。特に,ヒノキは1980年に丸太素材の平均価格で約76000円/m3になるなど右肩上がりの価格高騰と枝打ちをして無節材など高級化粧材を生産すれば何十万円/m3にもなるという市況が続いたので,全国,零細森林所有者も含めて一攫千金の夢を追うが如くヒノキの植林が行われたのです。
 そうなんです。森林所有者の人たちが自分の持ち山に一生懸命,額に汗してヒノキを植林したのは,将来の財産形成が目的であって,別に,国土保全や水源涵養機能を高めて下流の人たちの幸せを第一に考えたわけではないのではないでしょうか。そして,その後,木材需給のバランスや消費動向が大きく変化して国産材の価格は急落してしまいました。その結果,伐採時期が来て全部立木を伐採(皆伐:かいばつ)しても,山主の手元には数十万円/haしか残らないという事態になっているのです。当然,それ以前の間伐など作業効率の悪い伐採作業だと,搬出・販売すればするほど赤字になるため,せっかくの資源も山で切り捨てるしか方法がなかったり,国や県の補助金で相殺してなんとかプラスマイナスゼロにするのに四苦八苦している現状です。要するに,個人の場合,収益を期待して投資してきた人工林経営が行き詰まる中で,いくら補助金が出るといっても新たな投資が必要な人工林の手入れには投資できないというのが現状なのです。香川でも山奥に行けば行くほど「限界集落化」が進んでいます。どの家も子ども達はみんな都市部に流出していて,残っているのは高齢者ばかりです。限られた年金資金から生活にプラスになるあてのない人工林の整備にもはや投資するだけの体力は無いのだと思います。
 こういう事態が大面積に広がっているのが,高知県など国の拡大造林政策を忠実に実行した林業県です。それらの県の事情は,森林の公益的機能の確保よりは,地域社会,地域経済の確保のために「林業振興」の心臓としての人工林経営を放棄できない環境にあるのでしょう。
 一方,専業林家は二人しかいないといわれる香川では,人工林所有者の大半が5ha以下の零細所有者です。既に林業をあきらめて年月が経っている上,森林としてではなく土地資産として山林を保有している人が大半となっています。だから,間伐が遅れていようと台風で木が倒れようと全く無関心です。
 そういう人たちの人工林の手入れをどうすればよいのでしょうか? 仮に,財源対策が出来たとしても国や県が公益的機能維持増進で税金を執行しようとする目的と森林所有者の保有目的は一致しないわけですから,森林所有者にゆだねることは困難ですし,個人財産管理に行政が介入するとなると,何らかの財産処分に関する行政と所有者間の取り決めが必要になるのではないでしょうか? 例えば,必要な人工林の手入れは所有者に代わって行政が負担する代わりに,水源涵養や災害防止機能を将来にわたって担保させるために非皆伐施業協定(皆伐すると人工林であれ有する公益的機能が消失するので,木材生産機能より公益的機能を優先させることを双方が確認して,伐採するにしても抜き伐りのかたちにして皆伐をしない約束を結ぶこと)が必要になるかも知れません。果たして,財産制限を受け入れる森林所有者がどれくらいいるでしょうか?
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管理放棄されたヒノキ人工林(三豊市 2007秋)

 この他に,このまま時代が推移すれば,森林の所有境界さえ分からなくなることが確実ですから,森林所有者の協同組織であり森林管理組織でもある「森林組合」に人工林の適切な管理権限を委任させることによって「所有権」と「管理権」「利用権」を分離させるシステムを導入して,そのケースに限って行政経費(県民の税金)で人工林管理を行うなどの方策も考えられます。

 いずれにせよ,人工林資源を木材資源・水源涵養機能などの公益的機能の環境資源としてではなく,単なる土地財産として保有している性格が強い香川県において,行き詰まっている人工林の間伐・手入れ問題は,単に「手入れ費用」「財源」だけでは片付かない問題がたくさんあります。
 今回のアンケート結果は,こうした問題には何も触れていないし,説明もしていないから,「森林整備」は必要という「総論賛成」の部分だけになっているのではないでしょうか?
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昨秋,林業精励で黄綬褒章を受章した東川政太郎氏の家訓。
この精神と気概があって初めて人工林施業を行う資格となるのではないか!

 さて,県民が,「今以上に森林整備を進めて欲しい」と感じているとしたら,それは何を期待しているのでしょうか?

 以上,述べてきたように,現時点では,県民は「森林の整備」という言葉に大きな誤解があり,総論賛成のステップにしか立っていません。各論がないまま答えが一人歩きしないように,四国新聞は,健全なジャーナリズムとしての責務を果たすことを望むのみです。



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この記事へのコメント
こんばんは。
マロンアルファーさんは、森林技術者だったんですか!
写真もすごいですね。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年02月11日 17:59
quercus 様

すいません。 一段間違えました。
思わぬ勘違いからとても勉強させていただきました。

また、竹林のことなど教えていただければありがたいです。
竹の割箸って、何らかの条件がととのえば、安価で安定供給できるのかとか気になってます。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年02月11日 18:08
こんばんは。

大変な長文になってしまい 申しわけありません。
ご理解いただけますでしょうか?

竹林の産業的利用については,香川県では,仲南で「四国テクノ」という
工業竹炭を作る会社が,竹酢液を卵の配合飼料に含浸させて出荷しています。また仲南町森林組合は,モウソウ竹を竹粉に砕いてたけとりひめという商標で肥料化しています。

竹の割り箸については
安い中国製品に対抗できるだけの付加価値をつれて商品化しないと日本では流通が難しいように思いますが如何でしょうか?
Posted by quercus at 2008年02月12日 23:14
こんばんは
勉強してから、コメントの返礼をしようかと思っていたら、いつまでもかかりそうなので、いったん、お礼申し上げます。

今、割箸の削減について、研究というほどでもありませんが、模索しているところです。
Posted by たみ家たみ家 at 2008年02月18日 05:20
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