2008年08月04日
現代森林政策迷走の原因
日本の森林管理の問題は,自由貿易体制下の戦後造成人工林資源管理の適正化である。
言い換えれば,1960年代を境とする石油文明の普及と引き替えに,日本の森林荒廃の歴史は一つの終焉を迎えたのであり,植え過ぎてしまった人工林を適正規模に戻す手法を模索している時代といえる。
すなわち,明治以降,
①急増する人口増加が過剰利用を招き,はげ山が拡大し治山事業が緑を復元した時期,
②農地の拡大で森林が侵食され,かつ貧困な森林資源を国土緑化運動で改善した時期,
③高度経済成長下に拡大造林により自然林を破壊した時期,
④木材価格の低迷で人工林の管理放棄が進んだ時期,
という4つの大きな転換点を経過してきており,1960年代のエネルギー革命以前の問題①②と,拡大造林政策以降の問題③④とは,質・量共に全く次元の異なる問題である。
今,「森林管理放棄にまつわる諸問題」が「森林荒廃」をキーワードとして語られることが一般化しているが,先ず,背景整理をしておこう。
近年,高度経済成長時代に都市・住宅開発やゴルフ場造成のために大規模な林地開発が行われたために,日本の森林は大幅に面積減少したと思いこまれているが,昭和以降の日本の森林面積は減少ではなく増加・回復であったことは歴史的事実である。また,森林蓄積は,戦後は一貫して増加しており,ここ50年間で全体で約200%,人工林資源は約400パーセントに増加している。
日本の森林が本当に荒廃していたのは,上記①②の時代であり,先人達の努力で治山事業・国土緑化事業により驚異的な森林回復を成し遂げたのは世界的偉業といっても過言ではないが,石油文明の砂上の楼閣のような③④の問題は,「森林荒廃」ではなく「森林文化の衰退」の歴史である。
ここ100年間を振り返ると確実に我が国の森林は回復し,充実しているのにもかかわらず,「森林荒廃」を主張せざるを得ないのは,拡大造林政策の失敗を覆い隠さざるを得ない国策の瑕疵である。
木材価格の低迷と国産材林業の衰退は,木材輸入の自由化,工業化立国成功による円為替レートの変動相場制への移行,人件費の高騰,中山間地の過疎化・高齢化問題など多くの社会的・経済的要因が関与して形成されてきたものであり,結果として,森林・林業の予定調和論(林業振興による林業生産が増大すれば,同時に森林の公益的機能が確保され森林の保全が図られる)は破綻を認めざるを得なくなり,国は平成13年に森林・林業基本法を全面的に改正し,それまで木材生産を主体とした政策から森林の多面的機能を持続的に発揮するための政策に大転換した。
その結果,国有林施策は法に従って国有林野事業特別会計の縮小や生物多様性保全施策の推進など改革が進んでいる一方,民有林施策については,基本スキームに変更がないため,かけ声倒れに終わっているのが現状である。
要は,先に述べた予定調和論の破綻が如く,「公共」が求めている森林・林業への期待は,その公益的機能の発揮であるが,民有林経済・森林所有者の行動規範は,林業の収益性以外の何ものでもなく,将来的収益が見込めない更なる林業投資には回帰せず「人工林管理放棄」の解を返すばかりの機能不全に陥っている。
我が国の民有林では,所有権という財産権の存在が社会性を超える存在ではなく,結局,旧来のスキームで,森林所有者に「営林」を働きかける一方,事業継続のために,まさに「木を見て,森を見ず」の非科学的な論拠に依拠せざるを得ない状況にある。
言い換えれば,1960年代を境とする石油文明の普及と引き替えに,日本の森林荒廃の歴史は一つの終焉を迎えたのであり,植え過ぎてしまった人工林を適正規模に戻す手法を模索している時代といえる。
すなわち,明治以降,
①急増する人口増加が過剰利用を招き,はげ山が拡大し治山事業が緑を復元した時期,
岡山県:岡山県治山事業のあゆみ-保安林制度100周年記念--(1997)
②農地の拡大で森林が侵食され,かつ貧困な森林資源を国土緑化運動で改善した時期,
高松市郊外の疎林の様子(1956)
③高度経済成長下に拡大造林により自然林を破壊した時期,
福島県白川営林署ブナ・アスナロ原生林伐採(1972)Nacs-J自然保護
④木材価格の低迷で人工林の管理放棄が進んだ時期,
管理放棄されたヒノキ人工林(2007)香川県
という4つの大きな転換点を経過してきており,1960年代のエネルギー革命以前の問題①②と,拡大造林政策以降の問題③④とは,質・量共に全く次元の異なる問題である。
今,「森林管理放棄にまつわる諸問題」が「森林荒廃」をキーワードとして語られることが一般化しているが,先ず,背景整理をしておこう。
近年,高度経済成長時代に都市・住宅開発やゴルフ場造成のために大規模な林地開発が行われたために,日本の森林は大幅に面積減少したと思いこまれているが,昭和以降の日本の森林面積は減少ではなく増加・回復であったことは歴史的事実である。また,森林蓄積は,戦後は一貫して増加しており,ここ50年間で全体で約200%,人工林資源は約400パーセントに増加している。
「林野面積累積統計」(林野庁経済課1971)などより作成
小椋純一:日本の草地面積の変遷(2006) より引用
小椋純一:日本の草地面積の変遷(2006) より引用
林野庁:森林資源現況調査
日本の森林が本当に荒廃していたのは,上記①②の時代であり,先人達の努力で治山事業・国土緑化事業により驚異的な森林回復を成し遂げたのは世界的偉業といっても過言ではないが,石油文明の砂上の楼閣のような③④の問題は,「森林荒廃」ではなく「森林文化の衰退」の歴史である。
ここ100年間を振り返ると確実に我が国の森林は回復し,充実しているのにもかかわらず,「森林荒廃」を主張せざるを得ないのは,拡大造林政策の失敗を覆い隠さざるを得ない国策の瑕疵である。
木材価格の低迷と国産材林業の衰退は,木材輸入の自由化,工業化立国成功による円為替レートの変動相場制への移行,人件費の高騰,中山間地の過疎化・高齢化問題など多くの社会的・経済的要因が関与して形成されてきたものであり,結果として,森林・林業の予定調和論(林業振興による林業生産が増大すれば,同時に森林の公益的機能が確保され森林の保全が図られる)は破綻を認めざるを得なくなり,国は平成13年に森林・林業基本法を全面的に改正し,それまで木材生産を主体とした政策から森林の多面的機能を持続的に発揮するための政策に大転換した。
その結果,国有林施策は法に従って国有林野事業特別会計の縮小や生物多様性保全施策の推進など改革が進んでいる一方,民有林施策については,基本スキームに変更がないため,かけ声倒れに終わっているのが現状である。
要は,先に述べた予定調和論の破綻が如く,「公共」が求めている森林・林業への期待は,その公益的機能の発揮であるが,民有林経済・森林所有者の行動規範は,林業の収益性以外の何ものでもなく,将来的収益が見込めない更なる林業投資には回帰せず「人工林管理放棄」の解を返すばかりの機能不全に陥っている。
我が国の民有林では,所有権という財産権の存在が社会性を超える存在ではなく,結局,旧来のスキームで,森林所有者に「営林」を働きかける一方,事業継続のために,まさに「木を見て,森を見ず」の非科学的な論拠に依拠せざるを得ない状況にある。
Posted by quercus at 20:28│Comments(0)
│戦後林政のあやまち