2008年02月06日
戦後林政のあやまち -2-
これは地理学の先生で千葉徳爾(ちばとくじ)というはげ山の社会学的研究の第一人者が書いた名著「はげ山の研究」に示されているはげ山とはげ山移行林地の分布図である。瀬戸ものの産地であった愛知県の多治見地方,古くは平城京・平安京の時代から都建設のために大量の木材伐採が続いた近畿地方,そして製塩業が盛んだった瀬戸内沿岸。
これは,まんのう町の炭所西生産森林組合誌に掲載されている昭和6年の荒廃地復旧治山事業の写真である。古老の話では,この写真現場は,満濃町江畑奥ではなく,現在の高松市香川町のマツノイパレスあたりの写真でないかという。
このような状態を,我が国では「荒廃林地」と定義づけて,森林整備を進めてきた。
そして,戦中戦後の伐採跡地の植林も含めて,それこそ先人の偉業といえる大造林が実行されたのである。
天皇陛下が全国を回って国土緑化運動を呼びかけ,自らも「お手植え」を続けた。国民は,木を切ってはいけない。木は植えるものであると覚え込まされた。緑の羽根を皆が胸につけて募金した。
Posted by quercus at 21:48│Comments(0)
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